本野精吾自邸

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 当時の日本の建築界では前衛ともいえる、モダニズム運動をリードした本野精吾は、この等持院界隈に大正13年(1924)に自邸を自らの設計で完成させました。彼の作品の数はそんなに多くはありませんが、いずれも当時主流だった古典主義を脱却する過程での実験的なものです。

 彼は東京帝国大学を卒業した後、当時京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)の教授であった武田五一の招きで、1908年に同校図案科の教授となって京都へ。その後、ヨーロッパへ留学を経た後に本格的な活動を京都で始めました。武田吾一に招かれたからといっても、作風は武田とは違うヨーロッパの新しい建築モダニズムの影響を受けています。

 この自邸は中村鎮式コンクリートブロックを剥き出しのまま使用し、合理性を追求した、日本におけるモダニズム建築の先駆になったものです。この建物は平成15年(2003)に「DOCOMOMO Japan 100」に選ばれています。コンクリートブロック造り、2階建。

 本野精吾については INAX Report が Web にあり、詳細な解説や写真が掲載されています。ここにあるPDFファイルはさらに詳細で、近代建築ファンは必見です。ということで、ここでこれ以上詳しく書くは述べません。なお、他の建築家の貴重かつ専門的な解説もありますので、ご参考に。

平成29(2017)年の夏に実施される「第42回京の夏の旅」で特別公開が行われる場所のひとつとして、住所が公開されたので、追記します。(2017.7.7)

本野清吾自邸 1924(大正13)年
設計 : 本野精吾
施工 : 不明
京都市北区等持院北町58
撮影 : 2008.7.5
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 現在も現役の住宅なので正面からの撮影は控えめに。玄関が北東の角にあり、上部は切り欠きになっていて、古典主義とは違う非対称形。
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 北側の隣家前から建物の側面が見えました。
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 まったくのコンクリートブロックむき出し。だだ、玄関脇の柱にはレンガタイルが貼られて単純なモダニズム建築ではない、設計者の意図が感じられます。
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 シンプルですが、現代に通じるデザイン。最近、だんだん装飾の多い住宅より、このような単純明快な形式美がいいなと思うようになってきました。
by gipsypapa | 2008-07-23 17:07 | 建築
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