九州大学工学部航空工学教室

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 応用化学教室からさらに北に進むと、奇妙な形の高い塔屋を持つ建物が見えてきます。航空工学の教室として建てられたので、飛行場の管制塔を模したものといわれています。

 かなり薄汚く見えますが、これも戦時中の迷彩塗装が施された跡とか。

 設計は渡部善一の更に後の、九州帝国大学建築課長・島岡春三郎。構造設計を 坪井善勝が担当しました。鉄筋コンクリート造3階建て、塔屋付。

九州大学工学部航空工学教室
旧九州帝国大学工学部航空学教室
1939(昭和14)年
設計 : 島岡春三郎、 坪井善勝
施工 : 辻組
福岡市東区箱崎6-10-1
撮影 : 2007.8.15
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 こちらもあっさりとした正面玄関と・・
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 通用口。
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 あまり見どころがないので、北に行ってみると、通路があり古い小さな建物が並んでいて、ここから裏へ回れるようです。
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 まず小さな蔦が絡まったコンクリートの建物。窓がほとんどありません。倉庫でしょうか?
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 さらに奥には木造平屋建てのやや大きめの建屋。「ゲッチンゲン風洞実験室」という看板が。航空工学なのでここで航空機の風洞実験をやっていたわけです。
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 さらに奥にも小さなコンクリートの建物。
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 突き当りまで行って後ろを振り返って。
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 突き当りにはもう一つ横長の木造の建物がありました。これも風洞実験用かな?
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 裏から塔屋が見えました。
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 建物の裏側は蔦が生い茂って。
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 窓ガラスも割れたまま。
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 この建物も存続が危ぶまれますが、ほとんど大学側はギブアップ状態かも知れませんね。
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 ちょうどこの建物の正面の写真を撮っているときに、轟音を発して旅客機が上を飛んで行きました。九大の箱崎キャンパスの上空は、板付にある福岡空港へ着陸する飛行機のルートになっていて、昔から低空飛行の騒音がすごいところです。

 それで思い出したのがこれ。c0112559_16185741.jpgc0112559_16184218.jpg

昭和43年(1968年)6月2日夜10時45分頃、福岡の板付基地に着陸しようとしていた米空軍のRF-4Cファントム偵察機が、建設中の九州大学大型電算センターに墜落。その頃の写真がネット上にありました。

 

炎上する建設中のビルとその後の保存されているときの写真。尾翼部分が見えています。

 昭和40年代は学生運動のまっただ中。日米安保反対のデモが各地で行われていた時代です。そこに米軍機が大学に落ちたため、反対運動に「火に油を注いだ」状態になりました。
 墜落した現場は運動の象徴として、かなり長く保存されていたはずです。
現場はここから遠くない場所だったと記憶しています。
by gipsypapa | 2007-12-11 16:33 | 建築 | Trackback | Comments(10)
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Commented by showa-retro at 2007-12-12 14:50
はじめまして、こんにちは。

『レトロ』でコチラにたどり着きました。
勝手にリンクさせて頂きました。また来ま~す。
Commented by gipsypapa at 2007-12-12 22:51
showa-retro さん、今晩は。よろしくお願いします。
ブログを少し見せてもらいしたが、同じレトロでも切り口が違って興味深いですね。
古い腕時計なんかに魅かれるものがあります。またゆっくり見せてもらいます。
Commented by yoshima at 2014-02-15 05:47 x
懐かしい写真有難うございます。この航空工学の卒業生です。青春時代をこの建物で過ごしました。2階の教室からははるか遠くにボタ山が見えていました。横長の木造の建物の2階は製図教室でした。ストーブの上でスルメを焼きながら製図をしていました。下の階には卓球台がありよく卓球をしていました。勉強しにいっていたのか遊びに行っていたのか。。。。
ファントムが墜落した翌日は早速ファントムについての講義がありました。電算機センターがなかったら多分航空教室に突っ込んでいてこの建物も無くなっていたかもしれません。
迷彩塗装につつまれた奇妙な建物ですが私には青春時代が凝縮された建物です。
感謝致します。
Commented by gipsypapa at 2014-02-15 09:36
yoshima さん、
読ませていただくと
私と同じころにこのキャンパスに通われていたようです。
私は機械工学の校舎なので、
ありきたりの近代建築。
航空工学の校舎は
当時から変わった形とは思っていましたが
戦前のものとは知りませんでした。
ファントムが落ちた電算機センターは
航空の校舎の機械系側でしたっけ。
それにしても航空工学は
当時の工学部の中でも最も難関でしたね。
Commented by yoshima at 2014-02-16 16:37 x
gipsypapaさん、コメントありがとうございます。
電算センターは航空教室から見ると西鉄貝塚線側にあり電算センターを挟んでその右が理学部で左側に鉄鋼治金の教室があり、それから機械工学系へと連なっていました。理学部と鉄鋼冶金の教室の間には広場がありよく野球をしていました。その広場と航空教室の間に正門から始まる工学部を横断する道路があり、その道路は貝塚線を横切って文系キャンパスに至っていました。ファントムは本来なら博多湾、電算センター、広場そして航空教室の上空を通過し板付へと向かっていくはずでした。ちなみに航空教室の横には造船さらに応用化学の教室があり、赤レンガの工学部事務本館へと連なっていたと記憶します。
最近の記憶はすぐ薄れるのにその当時の記憶はカラー付きで鮮明に浮かんできます。人生で一番良い時期だったのでしょう。
掲載いただいた写真は蔦がからまっているのが変わっているだけでその他の雰囲気は当時のままです。タイムマシンに乗せて頂いた気分です。管制塔を模した塔の頂上で皆とビールを飲んで騒いだのも懐かしい学生時代の思い出です。
Commented by かわうら at 2014-03-12 21:46 x
はじめまして。リンクを張らせていただきました。インパクトのある建物で、興味を引かれました。詳しい説明でよくわかりました。ありがとうございます。
Commented by gipsypapa at 2014-03-13 09:30
かわうらさん、
はじめまして。
最近、箱崎キャンパスに行かれたようですね。
特にコメントがないので、
戦前の建物群は
まだ残っていると想像します。
教えていただき、ありがとうございました。
Commented by gipsypapa at 2014-03-13 09:39
yoshima さん、
コメントを頂いてだいていたのに気付かず
大変、失礼しました。
記憶というものは、若い時の方が残っています。
脳が若かったせいでしょうか、
歌を聞いても、
昔の方が歌詞を覚えていて、
不思議に感じることが多いです。
学生時代のキャンパスの記憶は、
正門から機械系校舎までで、
航空や造船のエリアに行くことが少なかったせいでしょう。
この時、訪ねて新鮮な感じを受けたのを
思いだしました。
Commented by かわうら at 2014-03-14 09:58 x
まだまだ、しっかり残っています。写真とまったく変わっていません。時間がストップしたような感じです、あそこだけ。
Commented by gipsypapa at 2014-03-14 16:50
かわうらさん、
了解しました。
ちょっと安心しました。
お知らせ、ありがとうございました。
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