重森美玲庭園美術館

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 昭和の名作庭家、重森美玲の自邸重森美玲庭園美術館です。

 建物は吉田神社の社家だった鈴鹿家の邸宅でした。主屋は享保年間頃(1716-35)、書院が寛政元年(1789)と伝えられる、いずれも江戸期の建物です。

 昭和18年(1943)に東福寺方丈庭園などの作庭で知られる庭園家の重森三玲(しげもりみれい)が譲り受け、新たに自ら設計して建てた、二つの茶席、無字庵1953(昭和28)年・非公開と好刻庵1969(昭和44)年、および自作の書院前庭や茶庭、坪庭がつくられていて、建物と庭園の両方に見どころが多いところです。

 現在は東側・書院庭園部が「重森三玲庭園美術館」として一般に公開され(予約申込制)、重森三玲の遺族によって管理・運営されています。西側の旧宅主屋部は独立した施設「招喜庵」として文化芸術分野で活用されており、通常、一般公開は行われていません。書院と茶室無字庵は国の登録有形文化財の木造平屋建て。

重森美玲庭園美術館(重森三玲邸書院・茶室)
旧鈴鹿家住宅
1789(寛政元)年 / 1953(昭和28)年増築
登録有形文化財
設計・施工 : 不明
作庭 : 重森美玲
京都市左京区吉田上大路町34
撮影 : 2014.7
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 寛政元年に建てられた鈴鹿家の書院です。
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 書院から前庭を臨む。重森美玲庭園美術館では定番のアングルですが、見学者が多すぎて、人を入れずに撮ることができませんでした。
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 床の間。この左に左手に違い棚がありますが、何故か撮影禁止です。文化遺産オンラインのHPでは全景が映っていますが、素人目には何も変わったところはないように見えます。なぜ違い棚だけ禁止なのか全くわかりません。なお書院の天井にある灯具は友人イサムノグチのペンダントライトだそうです。
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 書院とつながっている主屋は享保年間の築ですが、中は非公開。
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 茶席 好刻庵は1969(昭和44)年の築。
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 重森美玲の襖絵。東福寺の方丈庭園に通じる市松模様のモダンなデザインです。
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 非公開の茶席 無字庵は外観だけ。手前が壺庭です。
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 重森美玲の書院前庭は1970(昭和46)年作庭の枯山水です。
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 長く京都が続いたので、次回から少しだけ大阪へ。その後は東京へ行きます。
by gipsypapa | 2015-01-09 09:45 | 建築 | Trackback | Comments(4)
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Commented by j-garden-hirasato at 2015-01-10 06:17
三玲美術館に行かれましたか。
一度だけ、訪れたことがあります。
迫力ある石組、
クネクネとした曲線の石畳と築山、
三玲ワールド炸裂です。
庭と建物との調和も素晴らしいですね。
ああー、
行きたくなってきました。
Commented by gipsypapa at 2015-01-10 09:46
j-garden-hirasato さん、
はい、アップが遅くなってしまいました。
重森美鈴は福岡の光明禅寺とここだけしか見ていません。
もう少し暖かくなったら
必ず東福寺に行くぞ~。
Commented by coppoumon at 2015-01-14 20:18
違い棚の撮影禁止について興味を引きました。せこい話のようにも思いますが、違い棚は、武家は、右下がりという約束事があり、貴族だけが、違い棚を右上がりに造ることが許された、のだそうです。
公家にゆかりのある寺院の床の間で時々右上がりのものを見ることがあります。現存は珍しいのだそうです。
建仁寺・禅居庵も右上がりですが、ここは写真取り放題でした。ほかにもいくつか見ました。
見ても良いが写真は駄目、というのも、そういう理由からきているのかもしれません。右上がりシリーズなんて、いかがですか・・とは、不謹慎なのでしょうね。
Commented by gipsypapa at 2015-01-15 09:18
coppoumon さん、
はは~、初めて知りました。
確かに文化遺産オンラインの写真を見ると右上がりです。
建仁寺の禅居庵という場所は知りませんが
アップした写真の一部に右上がりらしきものがあるのを見つけました。
大変勉強になりました。感謝!!
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