新宮市

 熊野川の河口にあり、熊野三山の1つ、熊野速玉大社の門前町として、また熊野本宮大社への入口に位置し、熊野川の舟運を利用した木材の集散地で栄えた町です。近代は船から車や鉄道の世の中に変わり、縮小傾向にありますが、今でも、熊野地方(旧牟婁郡)の中心的な都市の1つです。

熊野速玉大社
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 先に紹介した佐藤春夫記念館が境内の一部を借りている、熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)は、和歌山県新宮市新宮1にある神社で熊野三山の一つです。また2004年(平成16年)7月に登録されたユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の構成資産・大峯奥駈道の一部になっています。

 社殿は明治時代の築だと思われますが、数々の座像などの国宝や重要文化財があるそうです。

熊野速玉大社
和歌山県新宮市新宮1
撮影 : 2013.11.26
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川原家横丁
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 熊野速玉大社を出たところにある川原家横丁。昔の雰囲気あるお土産物屋さんが数件並んでいます。
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 説明書きの立て看板の解説です。
『 江戸時代から昭和初めまで、熊野川河口近くの権現川原には、川原家(かわらや)と呼ばれる家が百数十軒も立ち並んでいました。この家は、釘を一本も使わず、組み立て・解体が簡単にできるようになっていました。

 熊野川の大洪水で川原が水没する前に解体して、船町(速玉大社横の町並み)の避難場所である上り家(あがりや)と呼ばれるところへ運び、水が引くと、再び元の場所へ戻し組み立てました。

 水が出ると流失の危険がある川原へ全国でも珍しい町並みが形成されたのは、筏流しや三反帆と呼ばれる生活物資を運ぶ小舟がすべてこの川原に着いただけでなく、関東・東北方面から来る巡礼や熊野三山参詣者、さらには近在の三重県側の人々も成川の渡しを利用し、権現川原へやってきたからです。
 
 多くの人々で賑わう川原には、宿屋・鍛冶屋・散髪屋・銭湯・飲食店などがあり、ここへ来れば何でもそろう町が形成されたのです。

 戦後、ダムができ、熊野大橋や道路が整備され、生活物資の運搬も楽になりましたが、昔ながらの筏流しも成川の渡しも消え、川原町は昭和20年代になくなりました。』
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方形屋根の洋館
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 国道42号線沿いに古い洋館があります。もとは住居だったかもしれませんが、玄関部分は木の扉で完全に閉鎖されていて、道路側に観光案内の看板が立っています。
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スズヤ時計店
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 西村記念館からJR新宮駅に向かう途中の商店街にこんな建物があります。2階の両側にあるタイルの縁取りに木枠のガラス窓がレトロです。

スズヤ時計店
昭和初期か?
設計・施工 : 不明
新宮市新宮7639-1
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おふくろの味「みか」
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 同じ商店街にある古そうな建物。 このあと駅前で昼食をとってから、JRで田辺市へ向かいます。
by gipsypapa | 2014-05-11 09:14 | | Trackback | Comments(2)
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Commented by j-garden-hirasato at 2014-05-12 06:44
3枚目の熊野速玉大社の写真、
縦を縮小したわけではにのですよね(笑)。
新宮市、
レトロな建物の宝庫なんですね。
Commented by gipsypapa at 2014-05-12 08:41
j-garden-hirasato さん、
扁平に見えますかね?
新宮市は西村伊作目当てで訪ねました。
宝庫とまでは言えませんが
西村伊作作品は
倉敷と匹敵するくらい
いいものがあります。
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