日光東照宮

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 旧富岡製糸場を出て、途中のSAで昼食。今日の宿泊地日光へ。金谷ホテルにチェックインする前に行くところがあります。

 今回のツアーはクラシックホテルの宿泊だけではなく、私好みのレトロ建築を訪ねるコースが入っていました。目玉の一つの日光東照宮。いつかは行きたかったところでツアーに参加した大きな理由のひとつでした。

 日光東照宮はいうまでもなく、江戸幕府初代将軍の徳川家康を神格化した東照大権現を祀る神社。広大な敷地に数多くの社殿が立ち並んでいます。家康死後の翌年の元和3年(1617年)下野国日光に改葬され当初の社殿が完成しました。

 寛永11年(1634年)に3代将軍・徳川家光が日光社参し、家光の支持により寛永13年(1636年)の21年神忌に向けて、有名な「寛永の大造替」が行われました。

 現在の社殿群は、そのほとんどがご鎮座から20年後の寛永12~13年に建て替えられたものです。

 境内にある建造物は多くが文化財登録されていて、国宝が8棟、重要文化財34棟もあり、他にも登録有形文化財もあります。ご造営の総責任者には秋元但馬守泰朝(あきもとたじまのかみやすとも)、工事や大工の総責任者には大棟梁・甲良豊後宗広(こうらぶんごむねひろ)があたり、わずか1年5ヶ月の工期で完成したそうです。これらの社殿群は平成11年12月「世界文化遺産」に登録されました。

 1枚目の写真は国宝の陽明門。私が訪ねた時は改修中で、布で覆われていました。完成はなんと6年後とのこと。ということでWikipediaの写真を借用しました。

日光東照宮
世界文化遺産
江戸初期
設計・施工 : 秋元但馬守泰朝、甲良豊後宗広
日光市山内2301
撮影 : 2013.10.8
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 社殿の配置図です。順路に従って紹介します。斜体表示文は栃木県のHPから借用しています。

石鳥居
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 東照宮の入口です。元和4年に黒田藩52万石の藩主、黒田長政が奉納したもので石材は九州から切り出され運ばれたそうです。大きさは高さ9m、柱の太さ3.6m、柱の間隔が6.8mで京都の八坂神社、鎌倉の鶴岡八幡宮の鳥居と共に日本三大鳥居の一つに数えられています。扁額は後水尾天皇が宸筆と伝えられ「東照大権現」の文字が掲げられています。

石鳥居
1618(元和4)年
重要文化財

五重塔
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 案内板によると「慶安3年(1650)若狭小浜藩主・酒井忠勝の奉納。高さ35m。吊られた心柱により高層建築の振動を調整する工夫がされている。」とあります。1815(文化12)年の火災で焼失。3年後に小浜藩主坂井忠近が再建したものです。五重塔は三間四面の五重塔婆で朱色を基調とし金物を金、組物、彫刻を極彩色で彩る豪勢な造りで東照宮入口に相応しい姿をもっています。」

五重塔
1818(文政元年)
重要文化財
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表門
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 東照宮の最初の門で登り口側の左右に仁王像があることから仁王門とも呼ばれています。反対側の左右には獅子がいます。

 三間一戸八脚門、切妻、銅瓦葺き、東西に延長120間に及ぶ簓子塀が付いています。神仏混合の名残で両脇には古くから仁王像が安置されていて仁王像と称していましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により仁王像が大猷院に移され表門となりました(明治30年に再度戻されました。)。朱色を基調とし虎や麒麟、獅子、獏など82体の彫刻は極彩色に彩られています。

表門
1635(寛永12)年
重要文化財
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三神庫(さんじんこ)
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 門に近い方から、下神庫(しもじんこ)、中神庫(なかじんこ)、上神庫(かみじんこ)です。3つ合わせて三神庫と呼よびます。上神庫の屋根の下部に狩野探幽が下絵を描いた「想像の象」の大きな彫刻があります。3棟とも重要文化財です。

 三神庫は下神庫・中神庫・上神庫の総称で寛永12年(1635)に建てられました。下神庫は桁行7間、梁間4間、切妻、銅瓦葺き、中神庫は桁行9間、梁間3間、入母屋、銅瓦葺き、上神庫は桁行7間、梁間4間、切妻、銅瓦葺きで、三棟とも校倉造り、高床で内部には「百物揃千人武者行列」に使用される1200人分の装束や舞楽用の装束などが収められています。上神庫の屋根妻面には狩野探幽が下絵した「想像の象」の彫刻があり、「三猿」と「眠り猫」と共に日光三彫刻の1つとされています。

三神庫
1635(寛永12)年
重要文化財
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 想像の象。

神厩舎(しんきゅうしゃ)
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 ご神馬をつなぐ厩、しんきゅうしゃ。有名な「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿がいます。それだけではなく、昔から猿が馬を守るという言い伝えから、全部で8面の猿の彫刻があり、人間の一生を風刺しています。8面すべてをお見せします。

 神厩は寛永12年(1635)に建てられたもので、桁行3間、梁間5間、切妻、銅瓦葺き、妻入りの建物です。東照宮境内の中で唯一の白木造りで、当初は初代将軍徳川家康が関ヶ原の合戦の折乗馬していた馬が神馬とされていたそうです。長押上には猿が馬の守り神であるという信仰から猿の彫刻が8面彫り込まれ、子育てから恋愛、結婚、妊娠と人間の一生が風刺されています。特に2面には有名な「見ざる・言わざる・聞かざる」を模った三猿があり、子供の教育とは"悪い事を見たり・言ったり・聞いたりしないように育てなさい。"という教育を論じているとも、東照宮の根本理念を現しているとも言われています。

神厩舎
1635(寛永12)年
重要文化財
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 子育て
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 三猿・成長 (見ざる・言わざる・聞かざる)
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 悩み・思春期
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 旅立ち・希望
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 挫折・友情
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 出会い・恋愛
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 結婚
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 妊娠

御水舎(手水舎)
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 参拝の前に手を洗い、口をすすいで心身を清めるところ。御水舎(おみずや)、手水舎(ちょうずや)

 御水屋は寛永12年(1635)に建てられた、唐破風屋根、銅瓦葺きの建物です。建物の規模に対して大型な唐破風は格式を感じさせ、水にちなんで波や竜の彫刻に極彩色が塗られています。柱は4隅に3本づつ計12本あり全て御影石で造られ、柱の白色と上屋の極彩色との対比が際立っています。手水鉢は元和4年(1618)に九州鍋島藩主が初代将軍徳川家康3回忌に奉納したもので、滝尾神社付近から水を引き神庫裏の石垣から落ちる水の圧力で水が噴き上がる仕組みになっています。

御水舎(手水舎)
1635(寛永12)年
重要文化財
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経蔵(輪蔵)
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 きょうぞう(りんぞう)
 輪蔵は寛永12年(1635)に建てられ、桁行3間、梁間3間、宝形造り、銅瓦葺き、裳階付きです。朱色と金が基調で組物と彫刻が極彩色で彩られ、内部には八角形の回転式の書架があり、一切経1456部、6325巻が納められていました。

経蔵(輪蔵)
1635(寛永12)年
重要文化財

鐘楼・鼓楼
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 鐘楼・鼓楼は寛永12年(1635)に建てられ、桁行3間、梁間3間、入母屋、銅瓦葺き、袴腰付きで陽明門に向って右側が鐘楼、左側が鼓楼です。一見同じ様に見えますが鐘楼の方が78体の彫刻に対し、鼓楼には38体しかなく鐘楼の方が格式が高いと言えます。全体的に黒と金を基調にして高欄を朱色、組物、彫刻を極彩色で彩った華麗な造りで配置的には古い寺院形式にならって建てられたとされ神仏混合時代の名残が見られます

鐘楼・鼓楼
1635(寛永12)年
重要文化財
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 鐘楼
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 鼓楼

燈台穂屋(回転燈籠と釣燈籠)
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 とうだいほや

 陽明門の傍、鼓楼前にあるシャンデリア型釣燈籠と八角形の燈籠。回転燈籠は1636年にオランダから奉納されたものです。軸を中心に回転します。オランダからの東照宮への奉納は3回おこなわれました。上部についている三葉葵(みつばあおい)の紋が、まちがえてさかさまになっているそうですが、写真ではわかりません。

燈台穂屋(回転燈籠と釣燈籠)
1636(寛永13)年
「附」(つけたり)指定物件

本地堂(ほんじどう)
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 本地堂は寛永12年(1635)に建てられ、桁行7間、梁間5間、入母屋、銅瓦葺き、3間の向拝が付いています。規模としては東照宮最大の建物で、本尊が薬師瑠璃光如来像であることから薬師堂とも言われています。天井には狩野派が描いた8mの竜がありその下で手を打つと鳴き竜現象が起こりましたが、昭和36年に火災により焼失し、その後再建されています。

陽明門
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 日光東照宮の見どころの一つではありますが、冒頭に書いたように残念ながら補修工事中。再び全貌が見られるのは6年後とか。華麗な装飾が散りばめられた門を見たかったです。とはいえ一部分が垣間見ることができました。

 日光東照宮の象徴的な建築である陽明門は寛永12年(1635)に建てられもので、三間一戸、八脚楼門、入母屋、四方軒唐破風、銅瓦葺きの楼門建築です。陽明門の名称の由来は京都御所にある十二門の東の正門が陽明門と呼ばれているところから授かったとされ、正面唐破風下には元和3年(1617)に後陽成天皇から賜った「東照宮大権現」の額が掲げられています。陽明門には当時の技術の最高峰がつぎ込まれ彫刻の数は508体にのぼり、軒下には金と極彩色に彩られた麒麟、その下には白色の竜、さらに下が子供達の透かし彫りが施されています。1層目には獅子や子供達が彫り込まれ、1日中見てても飽きない事から"日暮門"の別称があります。柱は全部で12本あり胡粉が塗られ、グリ紋と称する渦巻状の地紋と鳥獣、草花が彫られています。特に裏側の左手2番目の柱は"魔除けの逆柱"と呼ばれグリ紋の向きが逆で、"完成した瞬間から崩壊が始まる。"という古事からわざと未完成の部分を残しているそうです。

陽明門
1635(寛永12)年
国宝
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回廊
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 回廊は陽明門を中心に本社、祈祷殿、神楽殿、神輿社などを取り囲んでいます。総漆濡りで、様々な精巧な彫刻や燭台12台、蟇股30個が施され極彩色で彩られています。

回廊
1635(寛永12)年
国宝
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神輿舎(みこししゃ)
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 神輿舎は寛永12年(1635)に建てられ、桁行3間、梁間3間、入母屋、銅瓦葺き正面には軒唐破風が設えられる建物で反対側にある神楽殿と対になっています。黒と金を基調とし高欄は朱色、組物、彫刻、欄間は極彩色で彩られ、内部には千人行列で渡御する家康(中央)、秀吉(左)、頼朝(右)を祭った神輿が安置されています。天井には狩野派が描いた天人舞楽が描かれていて神輿が無い時真下で手を叩くと鳴き竜現象が起こるそうです。

神輿舎
1635(寛永12)年
重要文化財
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神楽殿(かぐらでん)
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 神楽殿は寛永12年(1635)に建てられ、桁行3間、梁間3間、入母屋、銅瓦葺きの建物で反対側にある神輿社と対になっています。黒と金を基調とし高欄は朱色、組物、彫刻、欄間は極彩色で彩られ、内部は舞台が本社側を向き楽屋が背後に配されています。

神楽殿
1635(寛永12)年
重要文化財

唐門(からもん)
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 唐門は桁行1間、梁間1間の小規模で白と金を基調とする清楚の印象を受けますが、屋根は四方軒唐破風の格式のあるもので棟には竜や獅子を模った銅製彫刻が設えられ、唐破風や欄間、柱には精巧な彫刻が施されています。

唐門
1635(寛永12)年
国宝
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東西透塀(とうざいすきへい)
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 唐門の左右から延びて本殿・石の間及び拝殿を囲んでその延長は160メートルあまり有ります。

 柱間は87間、透塀の中央に特異な枠どりの中に花狭間格子を配し、欄間には各種の花や鳥などを取り合わせた彫刻が施されています。野鳥、水鳥の彫刻は彩色された格子の空間の中にありその効果がとても美しく出ています。


東西透塀 
1635(寛永12)年
国宝
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日光東照宮坂下門・廻廊(眠り猫)
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 坂下門は元和4年(1608)に建てられた一間一戸、銅瓦葺き、八脚平唐門で、この奥が初代将軍徳川家康が眠る奥宮に続いていた為、普段は閉められ将軍参詣の折しか開く事がなかった事から「開かずの門」とも呼ばれていました。全体的に白と金を基調とし、他の建物より清楚な印象を受けます。欄間には鶴の透かし彫り、腰羽目には牡丹と唐草が彫り込んでいます。

 廻廊は寛永12年(1635)に建てられたもので梁間1間、桁行東54間、西36間、入母屋、銅瓦葺きで坂下門へ続く部分は唐破風の"眠り門"が付いています。奥宮へ続く欄間には有名な"眠り猫"と"雀"の彫刻が彫り込まれています。彫刻は名工左甚五郎で彫刻の由来は平和を象徴し、天敵である猫が居眠りをして雀が踊っている姿を表現していますが、場所によっては猫が薄め目を開け爪を立てているように見え、侵入者には断固として拒否する姿勢が窺えます。坂下門は国指定重要文化財、廻廊(眠り猫)は国宝に指定されています。


日光東照宮坂下門・廻廊(眠り猫)
1618(元和4)年
坂下門 : 重要文化財
廻廊 : 国宝
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祈祷殿(上社務所)
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 祈祷殿は寛永12年(1635)に建てられ、桁行3間、梁間3間、入母屋、銅瓦葺き、1間の向拝付きの建物で、背面にも向拝が付いています。黒と金を基調にした境内の中では比較的落ち着いた建物で、江戸時代は神仏混合していたこともあり寺院建築の要素が強く、内部では五大尊を本尊として安置し護摩を焚いて天下太平を祈願したそうです。明治時代初頭に発令された神仏分離令で一時解体される予定でしたが、社務所とすることで免れ五大尊も中禅寺湖に移されました。

祈祷殿(上社務所)
1635(寛永12)年
重要文化財
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御本社(本殿、石の間、拝殿)
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 御本社(ごほんしゃ)は本殿、石の間、拝殿が一体化した権現造りで、東照宮の中心を成しています。寛永12年(1635)に建てられ、本殿は(桁行5間、梁間5間、背面向拝1間、入母屋、銅瓦葺き)、石之間は(桁行3間、梁間1間、両下造、銅瓦葺き)、拝殿は(桁行9間、梁間4間、入母屋、正面千鳥破風、軒唐破風、向拝3間、銅瓦葺き)です。

 拝殿には「将軍着座の間」・「法親王着座の間」があり天井は格天井で格それぞれ異なった竜が狩野一派によって描かれ百間百種の竜と呼ばれています。本殿は神仏混合の名残が見られ、内陣や内々陣などが設えられ東照大権現が安置しています。唐門は桁行1間、梁間1間の小規模で白と金を基調とする清楚の印象を受けますが、屋根は四方軒唐破風の格式のあるもので棟には竜や獅子を模った銅製彫刻が設えられ、唐破風や欄間、柱には精巧な彫刻が施されています。


御本社(本殿、石の間、拝殿)
1635(寛永12)年
国宝
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by gipsypapa | 2014-03-12 10:26 | 建築
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