横浜第二合同庁舎

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 横浜港で最も重要な輸出品だった生糸の検査を行う目的で建てられた生糸検査所。神戸にも昭和初期に建てられた旧国立生糸検査所旧市立生糸検査所が残っていますが、横浜のこれはさらに古く大正15年の築です。

 耐震耐久性の問題から取り壊し、1995(平成7)年に新しく23階建ての高層ビル建て、その低層部分に創建当時の建物を新築復元させて、横浜第2合同庁舎として使用しています。つまりファサード保存の大規模版といえます。

 大型の庁舎で、規則的に赤レンガを貼った大きな柱を規則的に並べ、間に白いセメントモルタル塗りの外壁と小柱に囲まれた縦長窓との対比が美しい。建物正面上部に飾られた紋章は、蚕が孵化した巨大な蛾を表わしているそうです。

 設計は鉄筋コンクリート技術の先駆者の一人で、横浜に数々の作品を残した遠藤於莵(えんどう おと1866 - 1943)。横浜市認定歴史的建造物と近代化産業遺産の鉄筋コンクリート造り、4階建て、地下1階。

横浜第二合同庁舎
旧横浜生糸検査所
1926(大正15)年
横浜市認定歴史的建造物
近代化産業遺産
設計 : 遠藤於莬
施工 : 大林組
横浜市中区北仲通5-57
撮影 : 2012.12.9
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by gipsypapa | 2013-09-21 20:12 | 建築 | Trackback(1) | Comments(4)
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Tracked from 関根要太郎研究室@はこだて at 2013-09-21 20:35
タイトル : 建築家・遠藤於菟(1866~1943)その他の設計作品
◆建築家・遠藤於菟その他の設計作品  こちらでは三井物産横浜ビルの紹介記事に引き続き、建築家・遠藤於菟(1866~1943)の設計作品を幾つか紹介してみようと思います。三井物産ビルのときにも触れさせていただきましたが、遠藤於菟の設計作品は殆ど現存しておりません。そういう事で現存する作品のほか、ほんの僅かですが当時の建築雑誌をはじめ幾つかの書籍に掲載された遠藤作品の写真を紹介することに致しました。  遠藤於菟と言えば明治末には当時ヨーロッパで勃興したばかりのアールヌーヴォーのデザインを取り入...... more
Commented by sy-f_ha-ys at 2013-09-21 20:32
横浜第二合同庁舎、横浜で初めて建てられたレプリカ建築ですよね。
私が近代建築に興味を持ち出した十数年前は、このお隣に横浜銀行(旧第一銀行横浜支店)が解体・曳家される寸前で建っていましたが、
この建物は既に建て替えられていました。
先代の建物が竣工した当時は、1階の大部分のスペースは、生糸の検査場に充てられていたそうです。当時としては、桁外れの大きな建造物だったんでしょうね。

第二合同庁舎が竣工した当時は、これに似たデザインの倉庫が、3棟建っていたのですが、今は1棟のみが残るのみです。昔の姿を見てみたかったなと思わせてくれる、建物の一つですね。
Commented by gipsypapa at 2013-09-22 17:49
sy-f_ha-ys さん、
ネット情報ではこの周辺は将来再開発されるそうです。
残っている倉庫と事務所をうまく利用したら
レンガ倉庫のような活用ができそうです。
横浜市のことですから
うまくやるでしょうね。
期待します。
Commented by j-garden-hirasato at 2013-09-23 08:48
本体をそのまま保存できればいいんですが、
地価も高い都会では。
ファサード保存という方法も致し方ないことですね。
取り壊されてしまうことを考えれば、
ファサードだけでも保存されれば、
都市の記憶は後世につながります。
Commented by gipsypapa at 2013-09-23 20:23
j-garden-hirasato さん、
同感です。
そのままでは使えない事情があるわけだし
街を形作った建物の記憶をつないでいくには
こういう方法しかないと思います。
この建物は
特に横浜市が再建したので、
民間のファサード保存より
大掛かりになっています。
後、うん10年経ったら
もっと素晴らしい景観になるでしょうね。
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