四国村 旧クダコ島燈台退息所

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 クダコ島燈台は愛媛県松山市の沖、クダコ水道にあります。明治35年(1902)7月に着工、翌年3月に竣工、初点燈。クダコ島は周囲1.8kmの小さな島で、この退息所は隣の周囲13.5kmの怒和島(ぬわじま)にあったそうです。毎日船で通ったのでしょうか。戦後、燈台の無人化にともない、この退息所が不要になったため、平成10年に四国村に移築復原されました。

 なおクダコというのは中世の頃、この島を拠点にしていた水軍の呼び名で、鎌倉から戦国時代の水軍だった忽那(つくな)家文書に「久田子衆」や「九多児衆」と書かれているそうです。

 建物は本館と別館の2棟があります。本館は寄棟造、桟瓦葺。内部は左右二つに分かれ、二家族用として、畳敷き押入付き和風の部屋が配してあります。この退息所は明治後期の建築のため、灯台守も日本人に変わったようで、部屋も和風の要素が強くなっています。洋式燈台初期のものとは違い、日本人灯台守用の官舎の標準といわれ、日本の燈台建築の変遷を知るうえで貴重です。別棟ともに国の登録有形文化財の煉瓦造り、モルタル仕上げの平屋建て。

四国村 旧クダコ島燈台退息所
 1903(明治36)年
登録有形文化財
設計・施工 : 不明
高松市屋島中町91 四国村
撮影 : 2012.2.25
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 南側には本館と棟を直交させて建つ小ぶりな別棟。寄棟造、桟瓦葺で、ほぼ中央部に防火壁を立ち上げて、手前が風呂場、後方は倉庫です。国の登録有形文化財
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 これは日時計。花崗石製で、八角平面の二重礎盤に徳利状の円竿を建て、饅頭状の台が載っています。高さは1.15m。灯台吏員退息所の必要不可欠な施設のひとつとか。 こちらも国の登録有形文化財
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 なお、文化遺産オンラインのデータでは鉄筋コンクリート造りで、他のサイトでもそうなっているのが多いのですが、四国村の解説では、煉瓦造りのモルタル仕上げとあります。

 実際に見た感じでも鉄筋コンクリートとは思えず、かつ時代的にも1903(明治36)年は、まだ普及していないはずですから、煉瓦造りとしました。確かに表面がモルタル仕上げなので、コンクリートが使われたのは間違いないでしょうが、鉄筋は入ってないでしょう。無筋コンクリートの可能性はあります。

 ちなみに調べてみると、日本で初めて鉄筋コンクリート構造物が出来たのは田邊朔朗がメラン式アーチ桁橋を琵琶湖疏水に採用した1903年、まさにこの建物の築年だそうです。
by gipsypapa | 2013-02-22 13:29 | 建築 | Trackback | Comments(2)
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Commented by j-garden-hirasato at 2013-02-25 06:55
こちらは、日本人の設計でしょうか。
建物内は和風です。
まだまだ、
洋式の生活が定着していない時代だったんですね。
外壁も石からモルタルへ。
コストもかなり抑えられるようになった(笑)。
Commented by gipsypapa at 2013-02-25 13:05
j-garden-hirasato さん、
この頃になると自前で灯台を造って
日本人だけで管理する時代になったようです。
今まで見てきたような
石は入手が難しくなって
高価になったのかもしれません。
設計者も日本人でしょうね。
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