北海道開拓の村 旧来正旅館

c0112559_21204246.jpg
 東永山兵村に屯田兵として入植した来正策馬は、明治31年(1898)退役後、開通直後の宗谷本線の永山駅前に移り、待合所を開業した。大正7年(1918)に大水の被害を受けたため、翌年に旅館兼待合所を新築し営業を再開した。当時は、旅人の宿泊や汽車の待合などに利用されてにぎわった。

北海道開拓の村 旧来正旅館
1919(大正8)年
設計・施工 : 不明
旧住所 : 旭川市
現住所 : 札幌市厚別区厚別町小野幌50-1 北海道開拓の村 市街地群
撮影 : 2011.8.28
c0112559_21213223.jpg
c0112559_21214652.jpg
c0112559_21215556.jpg
c0112559_2122348.jpg
c0112559_2122126.jpg

by gipsypapa | 2012-06-10 21:22 | 建築 | Trackback | Comments(2)
トラックバックURL : http://gipsypapa.exblog.jp/tb/18084917
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
Commented by j-garden-hirasato at 2012-06-11 06:30
「待合」旅館とは、
何か怪しげな旅館みたいですね(笑)。
Commented by gipsypapa at 2012-06-11 10:18
j-garden-hirasato さん、
同じことを感じました。(笑)
Wikipedia によると、

待合(まちあい)は、待ち合わせや会合のための場所を提供する貸席業のこと。芸妓との遊興や飲食を目的として利用された。(京都でお茶屋と呼ばれる業態に相当する)

今日ではほとんど死語であるが、法律用語に残っており、風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律第2条第1項第2号に「待合、料理店、カフェーその他設備を設けて客の接待をして客に遊興又は飲食をさせる営業」という規定がある。

やはり怪しげでした。
<< 北海道開拓の村 旧三ます河本そば屋 北海道開拓の村 旧浦河公会会堂 >>