函館外国人墓地

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 市営バス高龍寺前で下車。次に紹介する旧函館検疫所に向かう途中、函館湾を望む高台にある外人墓地。1854(嘉永7)、ペリー艦隊来航のとき死んだ2人の水兵の埋葬場所に提供したのが始まりで、1870(明治3)年に在函5ヵ国の領事の要望で正式に外国人墓地として作られました。道を挟んで山側にロシア人墓地、海側にはプロテスタント墓地と中国人墓地があります。

外国人墓地
明治初期
函館市船見町23
撮影 : 2009.9.23
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 こちらは函館中華山荘という看板のある中国人墓地です。1876(明治9)年に清国人を埋葬したのが始まりで、1919(大正8)年の大修理の際にレンガ塀が作られたそうです。
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 外国人だけではなく、日本人キリスト教徒のお墓もたくさんあるそうです。
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 この一帯がプロテスタント墓地と思われます。
by gipsypapa | 2010-05-17 10:49 | 建築 | Trackback | Comments(2)
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Commented by j-garden-hirasato at 2010-05-18 05:47
外人墓地というと、
横浜のイメージでしたが、
函館にもあるんですね。
知りませんでした。
同じ外国人でも、
中国人だけ別に分けているのは、
それだけ、
古くから交流があったからでしょうか。
Commented by gipsypapa at 2010-05-18 09:59
j-garden-hirasato さん、
今も昔も中国人は積極的に外国に根を張ってますね。
言葉の問題は気にせずどこにでも出て行くというバイタリティは
日本人にはまねのできない国民性のようです。
長崎、神戸、横浜のように港町には必ず中国人の足跡が残っています。
函館の外人墓地は、ロシアやアメリカの方が先で、
中国人が葬られるようになったのは、
その後のようです。
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