揚輝荘 聴松閣

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 最近、若者にも知られるようになった名古屋市千種区の覚王山商店街。その一角、日泰寺の参道東の丘陵地に揚輝荘(ようきそう)という、大正から昭和初期に開発された広大な別荘地がありました。

 元々は松坂屋初代社長の伊藤次郎左衞門祐民(すけたみ)氏の別荘として、約1万坪の敷地に、修学院離宮を参考にした池泉回遊式庭園や洋風の伴華楼・聴松閣、日本庭園には茶室をはじめ多数の日本建築や、テニスコート・温室・弓道場など30棟を超える建造物があったといわれています。当時は皇族、華族、政治家や著名人の他に外国人も多数ここを訪れたとか。また国内からの寄宿生に加えて留学生の受け入れも行っていたそうです。

c0112559_11334171.jpg 終戦直前の空襲で多くの建造物が焼失。また戦中は日本軍に、戦後は米軍に接収され、その後は松坂屋独身寮として使用されたそうです。近年、敷地の大部分が開発され、マンション群が建てられるなど、庭園は南北に分断されましたが、数棟の貴重な建物と庭園が残っています。2003年(平成15年)からNPO法人揚輝荘の会が管理を行い、現在は名古屋市に寄贈され一部が一般公開されています。

 敷地南側にある聴松閣(ちょうしょうかく)は昭和12年に新築された迎賓館で、和風の屋根にハーフティンバー様式の外観。石積み柱の玄関ポーチや自然木を真壁風にあしらった外壁など、多様な意匠や様式を取り入れた山荘風の建物です。

 設計は竹中工務店の小林三造。多くの住宅作品を手がけ、伝統的な和風意匠を近代的な機能、工法、デザインを取り込み、西本願寺大谷本廟守真所や白鶴美術館など公共的建造物も設計したことで知られています。名古屋市登録有形文化財の木造地上3階、地下1階建て。

揚輝荘 聴松閣
1937(昭和12)年
名古屋市登録有形文化財
設計 : 小林 三造(竹中工務店)
施工 : 竹中工務店
名古屋市千種区法王町2-15
撮影 : 2009.7.24
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 Google Earth で見た揚輝荘。下(南)の赤マルが聴松閣。上(北)の黄色マルは次回に紹介する伴華楼。南北の間をマンション群が分断していることがわかります。

 訪れた時は南側一角には入れず、門扉の隙間から見える正面からの一部しか撮影できませんでした。あらかじめ申し込めばこの一角も行けるようなので、いつか出直しします。
by gipsypapa | 2010-04-14 11:37 | 建築 | Trackback | Comments(2)
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Commented by j-garden-hirasato at 2010-04-15 05:56
別荘というと、
やはり山小屋風なデザインになるんですね。
昔も今も、
そういう発想は変わらないですね。
残された庭園は公開しているんでしょうか。
興味深々です。
Commented by gipsypapa at 2010-04-15 09:37
j-garden-hirasato さん、
確かに別荘には山小屋風が多いです。
特権階級のステイタスかもしれません。
北側に残った庭園は一般公開されています。
このあと紹介しますが、
j-garden-hirasato さんのお眼鏡にかなうかどうか・・・
中央に小さな池のある日本庭園です。
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