旧大阪砲兵工廠化学分析場

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 大阪城の北西、京橋口の近くに明治初期に建てられた日本軍の兵器工場「大阪砲兵工廠」がありました。当時アジア最大の工場で、第2次世界大戦前には6万人もの人々が働いていたそうです。終戦直前に米軍の爆撃によって多くの建物が破壊され、がれきと不発弾などが放置されて、危険なため20年間手付かずのままでした。その後、自衛隊大阪地方連絡部として使用されましたが、1998(平成10)年以降は自衛隊が撤退し再び放置されています。

 今も残っているこの建物は大正中期に建てられた旧化学分析場。弾薬や化学兵器の開発に使われていたと思われます。戦後、自衛隊の大阪地方連絡所の本部でした。ネオ・ルネサンス様式の煉瓦造。地上2階建、地下1階。

 設計は大正から昭和初期に関西で活躍した建築家で、公共建築物を多く手がけ、ネオ・ゴシック様式を好んだといわれる、置塩章 (おしおあきら)。当時は砲兵工廠建築部にいました。現存する主な作品は、旧尼崎警察署(1926年)、旧神戸移住教養所(1928年、旧神戸移住センター)、旧兵庫県信用組合連合会事務所 (1929年、駐神戸大韓民国総領事館)、茨城県庁舎 (1930年)、旧鳥取県立図書館 (1930年、わらべ館)、宮崎県庁舎 (1931年)、旧国立生糸検査所(1932年)、加古川市公会堂 (1935年、加古川市立図書館)など。

旧大阪砲兵工廠化学分析場 1919(大正8)年
設計 : 置塩章(砲兵工廠建築課)
施工 : 大阪橋下組
大阪市中央区大阪城3-30
撮 影 2009.3.28
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 京阪電車の天満橋駅の方向(西)から近づくと、土佐堀通りから南に大阪府庁に向かう上町筋の無粋なバイパスが通っていて、その向こうに通用門と建物が見えてきます。
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 石積みの上部が煉瓦の塀が取り巻いていたようで、この一角に残っています。このアーチの通用門は砲兵工廠が建てられた明治初期からあるものでしょう。
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 立派な建物ですが、窓にはガラスがなく、すべて板(べニア?)で塞いでありました。この日は土曜日だったためか、駐車場になっている、建物前面には車は見当たりませんでした。近くに府庁などの官庁が多いので、平日は車が並んでいるのでしょうか。
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 現在は建物の周りをとりあえず駐車場として利用していますが、どう見ても建物に手を入れる気配は無く、廃墟化しています。一帯は大阪城公園として市民の憩いの場。お堀の傍にこれだけのレトロな建物があるのですから、有効な利用法はあると思うのですが。この状態で放置されているのは、景観上の問題もあり、納得しがたいところです。
by gipsypapa | 2009-10-14 11:10 | 建築
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