大倉集古館陳列館

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大倉財閥の本拠でもあったホテルオークラの敷地内にある中国古美術を中心とした日本初の私設美術館。 当初の建物は、1923年(大正12年)の関東大震災により倒壊したため、1927(昭和2)年に耐震耐火設計で新たに再建されました。

 設計は伊東忠太(いとう・ちゅうた)。昨年テレビのBS-i で彼のドキュメンタリーをやっていました。以下は要約です。

 彼が東京帝国大学で学んだ頃は、日本の建築界はコンドルから学んだ片山東熊、辰野金吾たち第一期生が教授陣で、「西洋」を吸収しようと躍起になって東京駅、日本銀行や博物館などの西洋の様式主義そのものの建物を次々と建てていた時代でした。

 伊東忠太も当初は西洋の建築を学んでいたのですが、釈然としないものを感じていました。c0112559_110093.jpgその流れに逆らうように和風建築に注目し、奈良の日本最古の木造建築・法隆寺を隅から隅まで測りまくる。そして「この寺の柱のふくらみは、ギリシャのパルテノン神殿と同じだ!」 という発見をします。あの西洋文明の源流が、こんなところにあるのを知った忠太は、対峙する西洋ではなく、西洋と日本をつなぐものを探し始めます。当時の建築家は欧州に留学して学ぶのが当たり前でしたが、彼はそれをせず、中国・ビルマ・インド・エジプト・トルコを経由したのち欧米を歴遊しました。つまり西洋に疑問を持ちアジアの独自性を追いかけた建築家が伊東忠太だったのです。

 彼は実に多くの作品を残していますが、大半は神社・仏閣・墓です。いわゆる近代建築といわれるもので有名なものは、この大倉集古館のほかに、祇園閣(1927)、東京商科大学東校舎本館(現一橋大学兼松講堂)(1929)や築地本願寺(1934)などがあります。また彼は無類の化け物好きで、その立場と趣味を生かして、自分の作る建築物に化け物の彫像を堂々と紛れ込ませたりします。(まだ行っていませんが築地本願寺が有名)

 この大倉集古館陳列館もほぼ和風の外観で、正面ベランダを支える石貼りの5連アーチがあって、和様折衷になっています。ここにたどり着いたときはもう夕方。閉館がせまっていたので残念ながら中は見ませんでした。登録有形文化財の鉄筋コンクリート造2階建て。

大倉集古館陳列館 1927(昭和2)年
登録有形文化財
設計 : 伊東忠太
施工 : 大倉土木
東京都港区虎ノ門2-10-3
撮影 : 2008.10.12
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 まったくの和風建築ですが、このアーチだけは洋風。
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 お城のような建物の裏側。
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 裏庭にブロンズの像や灯篭に妖怪と思われるものがいますが、これも伊東忠太でしょうか。
by gipsypapa | 2009-01-19 11:06 | Trackback | Comments(2)
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Commented by j-garden-hirasato at 2009-01-20 06:45
屋根のソリと色使いで中国風に見えますね。
アーチは、中国建築にはないんでしょうか。
アーチも含めて建物全体を眺めて、
違和感なく中国をイメージしました。
Commented by gipsypapa at 2009-01-20 16:52
j-garden-hirasato さん、
そうですね。中国風ですよね。伊東忠太のアジア色が出ています。
ただ中国は上海と大連しかしりませんが、
寺院の建物はもっと極彩色で派手な色遣いでした。
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